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横浜地方裁判所 昭和33年(わ)1897号 判決 1963年6月28日

本籍並びに住居 横浜市港北区日吉本町一、六四〇番地

神奈川県地方労働組合評議会事務局員 赤崎末人

昭和一〇年二月九日生

本籍 山形県西村山郡西川町大字入間一、一九一番地

住居 神奈川県川崎市南小田町二丁目五〇番地

工員 高野保太郎

大正一四年九月二〇日生

右両名に対する公務執行妨害被告事件について、当裁判所は検察官水崎松夫出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人両名はいずれも無罪。

第一、本件公訴事実

本件公訴事実は

「被告人赤崎末人は神奈川県地方労働組合評議会事務員、同高野保太郎は日本鋼管川崎製鉄所労働組合員であるが、昭和三三年三月一七日同地評傘下の全逓信労働組合神奈川地区本部が春季斗争の一環として横浜郵便局支部に対し、同月二〇日午前八時三〇分よりの勤務時間内くい込み二時間の職場大会の開催指令をなしたところ、同局支部(支部長小原博)は不法な職場大会の開催を拒否し、同指令を返上したので被告人等は同月二〇日午前六時一〇分頃より同地評傘下の各労働組合員約二〇〇名と共に横浜市中区日本大通五番地横浜郵便局通用門前道路上において、ピケを張り同局職員等の出勤就労を不法に阻止し、横浜公園で開催予定の職場大会への誘導を企図するに至つたので同郵便局長寺田清吉の要請により神奈川県警察本部警備部機動隊等約一〇〇名が出動し、被告人等ピケ隊員の立退きを数次に亘り警告したところ、容易に之に応ぜず、同門附近において座込みを開始したので、同機動隊員は実力をもつて之を排除しようとして双方激しい揉合いとなつたが、その間

第一、被告人赤崎末人は同日午前九時三〇分頃、同所においてピケ隊員の引抜きを始めた同機動隊員巡査北沢操に対し、同人着用の制服の襟元を掴んで引張りボタン三個を揉ぎ取りネクタイを引張つて同人の首を絞め更に同人の左腿部を二、三回蹴り上げる等の暴行をなし、

第二、被告人高野保太郎は同日午前九時二五分頃、同所においてピケ隊員の引抜きを始めた同機動隊員巡査周藤美雄に対し同人の左下腿部及び左大腿部を各一回ずつ足蹴りする等の暴行をなし

以て各右警察官等の職務の執行を妨害したものである。

というのである。

第二、本件公訴事実に対する当裁判所の判断。

一、被告人両名の各暴行について。

本件公訴事実によれば、被告人両名が前記第一、第二記載の各暴行によつて、それぞれ警察官の実力によるピケ隊員の引抜き行為(以下実力行使と略称する)を妨害したというのであるから、先ず被告人両名の暴行の有無につき考察しなければならないがこの点に関し検察官は昭和三四年六月三〇日第二回公判期日において、弁護人の求釈明に対し、本件においては前記公訴事実第一、第二記載の各暴行以外の暴行々為は含まれない旨を明言しているので、以下その制約を考慮に容れて被告人両名の各暴行につき検討する。

(一)  被告人赤崎末人の暴行について。

≪証拠省略≫を綜合すれば、「被告人赤崎は前記公訴事実第一記載の日時頃同記載の場所において、神奈川県警察本部警備部機動隊員巡査北沢操に対し、そのネクタイを引張つて同人の首を絞め、更に同人の左下腿部を蹴り上げる等の暴行をなしたことが認められるが、右暴行以前に同被告人が前記北沢操に対してなしたと主張されている制服の襟元を掴んで引張りボタン三個を揉ぎ取つた事実についてはこれを認めるに足る証拠がない。

以下前記認定に達した理由につき項を分けて説明する。

(イ) ボタンの点について。

制服の襟元を掴んで引張りボタン三個を揉ぎとつた事実についての証拠関係は次のとおりである。すなわち被害者北沢操の司法警察員調書によれば、同人は「被告人赤崎から制服の襟を掴んで引張られ赤崎の右足で自己の左足を蹴られ、その時制服のボタンのうち第二、第三、第四ボタンの三つがもぎとられた」旨供述し、次に検察官調書では「相手の男が私の制服の襟を掴んで強く引張つたのでボタンがバラバラと三つばかりとれた」と供述し、更に前記公判調書においては右と同様の供述をしながら反対尋問に答えて引張られた部位が制服の上か下かそれはちよつと解らない旨を供述している。また目撃者である阿部丈夫は前記上申書において、北沢巡査が「頭髪ボサボサ面長色白で茶色のオーバを着た男に制服のボタン三つをもぎとられ、その上ネクタイで首をしめられて苦るしそうにしているのを目撃したので……」と記述し、前記検察官調書では「その男にネクタイを引張られて苦るしそうにしており、更にその男の右の男がその男を引抜かれまいと引張つていました。北沢巡査は制服の上衣のボタンをもぎとられ大分強い抵抗を受けていました。私はこれはいかんと北沢巡査の肩を起してネクタイだけでも放させようとして……」と述べており、又前記公判調書では、先ず「前にいたピケ隊の人にネクタイを引張られたですね。それで前の方のボタンがとれてネクタイを絞められてくるしそうな形に見えたですね。……ボタンのとれたのは私は見ましたけれどもね……。服のボタンがとれてたんです。」と述べ更に反対尋問に進んでは「ネクタイを引張られているのを見て左うしろから近寄つた……ボタンが三つ、残つたのは一番上か一番下だつたか、バラツと取れたような気がする……私が見たのはネクタイを引張つているところを見た」と供述しているのである。そして右各供述によれば、ボタンが三つとれたことがほぼ推測されるが、そのボタンが具体的にどのようにしてとれたかという点については各供述間に若干の喰い違いが見られるのである。ところで揉ぎ取られたボタンの位置については事件当日の最も記憶の新らしい時期における供述を記載した北沢操の前記司法警察員に対する供述調書によると、上衣の第二、第三、第四ボタンであつたことが明かにされている。しかし当日の警察官の服装は≪証拠省略≫に明らかなように、いわゆる通常装備といわれるもので、四ツボタンの開襟制服の第三、第四ボタンの間に拳銃や警棒を装着するための幅広の帯革をしめ、これがずり落ちるのを防ぐため左肩から右脇下にかけてやや狭い革のつり帯が背後の腰部附近と前の腹部附近で右帯革にとめられており、右つり帯は第一ボタンと第二ボタンの間か或は第二ボタンを上から覆うような具合につけられていて、これを前記各資料と対比して考察すると、制服の下から横へ引張るなどすれば或は第一ボタンは残るかも知れないが、もともと簡単にはとれない筈の制服のボタンが制服の襟元やネクタイを引張つて一番強く力のかかる筈の第一ボタンが残るということは納得し難い。それ故北沢操の検察官調書及び公判調書中制服の襟を掴んで強く引張つたためにボタンが揉ぎとられた旨の供述並びに阿部丈夫の公判調書中ネクタイを引張られたためボタンがとれた趣旨の供述はたやすく信用し難いところである。北沢操は公判調書において右の供述を飜し、ボタンが取れたのは制服の上衣の上部を引張られたためか、下部を引張られたためか、わからない旨供述しているが、この供述だけでは制服の下部を引張られたために第二、第三、第四ボタンが揉ぎとられたと認定するのに充分な心証を惹き得ない。のみならずたとえこのような認定ができたとしても、本件においては冒頭記載の釈明により特に襟元を掴んで引張りボタン三個を揉ぎ取る行為が一個不可分の暴行として特定されているので、訴因の変更がない限りこのような認定は許されないところである。

(ロ) 足蹴りの点について。

弁護人等及び被告人赤崎はこの点について、被害者北沢の供述は非常に動揺し、その供述自体からして、それが物理的に不可能であつた旨主張している。その理由は前記北沢操の公判調書では、同人は被告人赤崎の追求にあい、赤崎は尻を地についた姿勢で蹴り上げ、その時期は赤崎がネクタイを引張るのを離そうとしているときであるが、それ以前赤崎がネクタイを掴んだりボタンを揉ぎ取つたりしたときの位置について、赤崎が二列目までずつと下つて行つたと答えているのであるから、座つている人間が間に人をおいて前に立つている人の地上より僅か二〇糎の高さしかない向う脛の部位を蹴ることは到底できないとする点と、被害部位についてのさきの釈明では左腿部を蹴つたことになつており、また裁判官の質問に対して北沢も「今迄の取調の際上のほうだといつたことがあります」と答えているのは前記公判調書での供述と喰違うものであるとする二点につきる。

足蹴りの点については前記阿部丈夫も目撃しておらず、撲られたとか、蹴られたとか北沢が言つていたのを聞いたに過ぎないことが同人の前記検察官調書並びに公判調書の供述記載から窺えるのでこの点に関しては被害者北沢操の供述が唯一の証拠となるが、同人の前記公判調書での供述では、確かに弁護人等が主張するように、赤崎が北沢を蹴つたのはネクタイを掴んだりボタンを取つたりした後のことに属し、ネクタイを掴んだりボタンを取つたりしたときの赤崎の位置は「二列位までずうと下がつて行つた」と述べてはいるが、その後被告人赤崎の問に答えて「一列、二列は人はいないですけれども。要するにそこでやつていると人がいるところは分れるわけですね」と述べて蹴られるときに被告人赤崎と自分との間に人がいたとは言つておらず、かえつて言葉は充分でないが、もみ合い引張り合いをやつていると人垣が分れて空間ができる趣旨に受けとれる。又検察官が釈明の段階で蹴られた部位を左腿部であると述べたことは間違いないが、北沢は前記公判調書では裁判長の問に答えて弁護人等の主張するように上の方だといつたことが「あります」とは述べておらず、反対に「ありません」と否定しているのであつて特に喰違いがあるわけではない。北沢はその司法警察員調書では、右足で私の左足を蹴つてきたと供述し、検察官調書では「相手は終始座りこんで尻もちをついたままの姿勢ですので私は相手におおいかぶさるようにもみ合つていますと今度は相手は両足で靴ばきのまま私のすねの辺りを二、三回ひどく蹴り上げて来ました。そのため私の左脛がひどく蹴られました」と供述し、公判調書では両脛に対し足で何回も蹴とばしてきたが、当つたのは二、三回じやないかと思う旨供述していてその間に幾分の相違がみられるものの、これはより詳細になつたためのもので特に異とするには当らない。右各供述を綜合すれば、北沢はネクタイを引張られて前のめりの恰好になつてピケ隊の中に引きずりこまれそうになり、相手の被告人赤崎は尻もちをついたような状態でネクタイを引張りながら、うしろから同人の引抜きを阻止せんとしているピケ隊員の助を得てあとしざりながら前のめりになつている北沢の左脛を蹴り上げた状況が窺えるのであつて、このことは決して不可能なことではないと考える。そして左腿(公訴事実)と左下腿(認定事実)との違はあるが、蹴る行為と方向は一致しており、もともと字義的には腿とは脛(すね・はぎ)と股(もも)の総称であるから左腿と左下腿の別が特に被告人の防禦に影響を及ぼすとは考えられない。

(ハ) 弁護人側証人(反対証拠)について。

最後に被告人赤崎の前記暴行を否定する趣旨の供述をなしている弁護人側証人辻和宏、同高津登志彦、同小宮哲夫(いずれも第二回公判調書)の各供述記載について簡単に言及する。

先ず証人辻和宏の場合は、同人は被告人赤崎の暴行以前に実力行使により引抜かれていることが同人の供述より明らかであるから、被告人赤崎の暴行については知るすべがない筈である。次に高津登志彦の場合、同人は概括的には被告人赤崎の一人おいて隣におり終始一緒の行動をとり、ずつと彼の行動を見ていたが暴行とかそういうことは決してなかつた旨供述しているものの、個々の事実については実力行使の混乱の中に、同被告人が三人位の警察官に取りかこまれてそのうちの一人に手錠をかけられ引抜かれる間見ていたというように述べ、更に裁判官の問に対して見てない部分もあるだろうからその間何事か行なわれる可能性のあることを承認しているので必しも前記認定に反する証拠とはならない。最後の小宮哲夫に関しても同様で、その供述では同人の注意の方向が前方及び自分自身にあつて(渡辺写真集15・16・18、渡辺第二写真の三、弁護人写真集No.・11等)被告人赤崎に注意が向けられたのは抗議の際同被告人が警官と互に腕を掴んだ形になつたり(渡辺第二写真の二)、片手を引張られて引抜かれたときの限られた瞬間のことでそれ以外のことには注意が払われていないし、同人は自己のおかれた状況から赤崎の暴行は有り得ないと結論しているだけであることが、うかがわれるのでこれまた必しもさきの認定をくつがえす資料とは思えない。

(二)  被告人高野保太郎の暴行について。

≪証拠省略≫を綜合すれば、

「被告人高野は前記公訴事実第二記載の日時頃同記載の場所において神奈川県警察本部警備部機動隊員巡査周藤美雄に対し、同人の左腹部及び大腿部を各一回足蹴りする等の暴行」を加えたことが認められる。

弁護人及び被告人高野は、同被告人の暴行はもともと物理的に不可能なものであるとし、その理由として(イ)、同被告人はピケの中で左右の者にかかえられて中腰ないし坐つていたことが写真(弁護人写真集No.11・21、鈴木写真集10)によつて明らかであるから、そのような姿勢で足をあげて相手の下腹部を蹴ることは不可能である、(ロ)、仮りに被告人高野が立つていたとしても実力行使の際は立つて蹴るなどの行為ができるような状態ではなかつた。すなわち被害者、目撃者の各供述するように被告人高野が逮捕される直前かさなり合つてピケ隊員は倒れているのであるからピケの中心部には引抜きのための警察官が密集、殺到しピケ隊員と体と体がぶつかつて押し合うような情況であるが、こうしたところで足をあげて相手の下腹部を蹴るなどという余裕間隔があり得ない。(ハ)、前記各供述に従つても、人と人とが立つて向い合い、一方が相手の腕を掴んだ場合その間隔はせいぜい五〇糎位しかないのに、そのような状態で相手の下肢や腿のつけねまで蹴り上げることは物理的に不可能である、(ニ)、それらを裏付けるものとして検察官の証拠改造の努力か挙げられる、すなわち被害者である周藤巡査は警察の調書では……相手の「右腕」を両手で握り引抜こうとした時……となつているが、検察官調書では「左腕」を私の両手で握り……となつていて、掴んだ高野の腕が「右」から「左」にと訂正されている。又被害者である周藤美雄の証言の信憑性につき細かいことを附け加えるなら同人は自己の証言の真実性を強調しようとしたため蹴られたため靴の「裏側の所が形はついてませんが泥が附着している状況でした」と証言しているが、あの場所はコンクリートの歩道であつてそこを歩いた被告人高野の靴に泥がついている筈がなく、又それを倒れたり、暴れるのを押えたりしている状況で確認する余裕がある筈がないと主張する。

先ず(イ)の点について、被告人高野が中腰ないし坐つていた証拠として主張されている弁護人写真集No.11・21、鈴木写真集10はいずれも時間的、場所的に若干のずれがあつて証拠として適切なものではない。すなわち弁護人写真集No.11は前掲検証調書及び渡辺第二写真の一と比べてみると既に被告人高野のいた通用門直前附近の実力行使が終りその左側の方被告人赤崎のいた附近の実力行使にかかつた時の状況で場所的にも時間的にも異つているし、同No.21及び鈴木写真集10は渡辺写真集18や右渡辺第二写真の一と比べて最前列の実力行使にとりかかつた時の状況を撮したもので二、三列うしろにいる被告人高野の暴行時(或いは同人に対する実力行使の時期)とは時間的にほんの僅かではあるがずれが考えられる。この点に関し後記宮崎弘一(第二五回公判調書)の供述記載と対比して最も時間的に近接したものとしては右渡辺第二写真の一が存するが、これによれば被告人高野の附近は立つており、同被告人は立つて上体を曲げた恰好であることが観取される。そしてこの事実は前記周藤美雄の公判での供述記載中「僅か接着した時間と思うが、一度坐りこんですぐ立つた」趣旨の供述並びに弁護人側証人の宮崎弘一(第二五回公判調書)の供述記載中「実力行使により足を引張られる危険があるので立とう立とうといつて附近の連中が立つた」という趣旨の供述とも符合する。次に(ロ)の点であるが、前記周藤、但野の各公判調書の供述記載に明らかなように被告人高野の暴行はピケ隊中央部に警察官が密集殺到する直前のことであるからこの点も右暴行を否定する根拠にはならないし、又(ハ)の点については前記周藤は後述するように終始同人が被告人高野の左腕か左肱を掴み引張ろうとしたとき相手が右足で蹴つた旨供述していて、引張り合いの状態でいる以上仮りに上体の間隔が五〇糎位しかないとしても下半分の足の方はそれより広い間隔であつたろうことが容易に推測され、姿勢のとりかた如何では蹴る行為自体が全く不可能とは云い得ない。更に(ニ)のいわゆる検察官の証拠改造云々の点であるが、周藤美雄の司法警察員調書では明らかに相手の「左腕」となつていて弁護人の主張は事実無根であり、又「泥が附着」していたとの周藤の公判調書での供述は必しも右供述全体の信憑性を左右し、これが全く架空の物語りに過ぎないときめつける根拠にはならないと考える。なぜなら当日の天候は司法警察員作成の実況見分調書に明らかにされているとおり曇天で雨は降つていなかつたこと、場所がコンクリートの歩道であつたことは事実であるが、右供述の泥を泥土と解するならともかく、コンクリート歩道を歩いた靴で服(特に紺色とか黒色の場合)にさわつた場合白つぽい泥痕がつくのは決して不自然なことではないし、そしてこのような混乱の場合においても個人の注意力如何によつてはこのことを確認する余裕が決してないとは断じ得ないからである。

最後に弁護人側証人について一言するに、多くの証人中被告人高野の暴行に関して直接否定的供述をしているのは、同被告人と同様日本鋼管川崎製鉄所労働組合に属する菅野勝之であるが、同人(第二五回公判調書)の供述記載では、同人は被告人高野の右隣に位置して同被告人とスクラムを組んでいた。同被告人はしやがんでいたし、スクラムを組んでいたから手を動かしたり蹴つたりできないというのであるが、前記宮崎弘一の供述記載や同供述と被写内容から被告人高野の暴行に近接していると思われる前記渡辺第二写真の一や渡辺写真集18では明らかに菅野や被告人高野が立つていることが窺われるのでしやがんでいたとする同人の供述は当を得ていないし、又その供述全体からしても同人は終始被告人高野を注視していたわけでもないので必しも前記認定を左右する資料とは考えない。

二、被告人両名が右各暴行に及ぶまでの経緯

本件公訴事実によれば、右一記載の被告人両名の各暴行は、昭和三三年三月二〇日全国逓信労働組合(以下全逓と略称する)の勤務時間内喰込み職場大会の開催をめぐつて、出動した警察官の実力行使に対してなされた旨主張されているので以下その経緯につき考察する。

(一)  右職場大会をめぐる同年三月一九日までの動向について。

≪証拠省略≫を綜合すれば次の事実が認められる。

(イ) 当時の全逓の斗争方針及び神奈川地区の状況について。

全逓は昭和三三年一月下旬広島市において第一六回中央委員会(同組合全国大会に次ぐ決議機関)を開催し、同年の春季斗争(総評の斗争方針に従う統一行動の一環として行われたものである)について協議したが、同委員会においては前年栃木県日光市で開かれた第九回全国大会(同組合最高の決議機関)の年次運動方針の具体化として、一律二、四〇〇円の賃金値上げを主たる要求項目とした要求七項目を獲ち取るべく、勤務時間内喰込み一乃至三時間の職場大会を打たせることが決定され、右決定は同年二月東京都において開催された第三回戦術会議(前記第九回全国大会の授権に基いて成立した具体的戦術決定機関)において具体化され、新賃金引上げに関する公共企業体等労働委員会の調停の山場が同年三月一〇日から同月二五日頃までと予想されるので同月二〇日前後に全国各地の統轄局で前記職場大会を開催し、更に右調停案が具体的に呈示される同月二七日頃統轄局に準ずる収拾局で同じく職場大会を開催することに定まつた。そこで全逓神奈川地区本部(地区本部とは全逓の下部組織で都道府県毎に設けられ、その地区の決議執行機関となる。以下地本と略称する)では同年二月下旬神奈川県足柄下郡湯河原町において、右戦術会議決定に対する地区の意思統一を目的として神奈川地区委員会を開催し、その席上前記統轄局として神奈川地区の斗争拠点に当る予定の全逓横浜郵便局支部の支部長小原博は同支部の実情を述べて拠点斗争の実施が困難である旨訴えたところ、これに対して他の支部でやつてはとの意見も出たが、全国的に見て神奈川地区だけが統轄局以外に拠点を変えるわけにはゆかないし、そういうことでは要求獲得はできないとする他支部の強い意見が出て、結局斗争実施の予想される同年三月二〇日頃までの間に横浜郵便局支部の斗争態勢を強化し最悪の場合は馘首も覚悟の上で既定方針どおり拠点斗争を実施することに落着いた。もつとも馘首の点についてはさきの戦術会議でも論議されていたところであるが、組合専従者でもない支部役員や一般組合員が斗争のため処分されるような事態の発生を避けるため、斗争直前一時的に地本が支部執行委員会の権限の移譲を受け、地区の組織運営とか斗争指導の一切は地本の責任において行う旨の機関決定がなされていた。

(ロ) いわゆる指令返上について。

当時全逓の右の如き斗争方針は全国的にも問題となり、横浜郵便局長に対しても、時間内職場大会は郵便法第七九条に違反するので刑事罰の対象にもなるという趣旨の強硬な大臣通達がなされ、同局局長をはじめとするいわゆる管理者側は前記斗争阻止のため同局内に右通達を掲示すると共に同局支部宛文書でその旨警告するなどの措置をとつていた。これに対して同局支部は、さきの湯河原会議の状況に徴し、同局が神奈川県の拠点局に指定されることは間違いないとして、これに対応するため同局内において七ヶ所の職場大会を開いて支部組合員の意見を聞いたところ、刑事罰の対象となるようなことまでして組合活動をすることには不賛成であるとする意見が強く、指令が来た場合は返上するという空気が支配的であつた。かかる状況の中に同年三月一七日全逓横浜郵便局支部は神奈川地本を経由して全逓中央本部(全逓の最高組織、中央執行委員会で構成)の発した「三月二〇日午前八時三〇分より同一〇時三〇分まで二時間の時間内喰込み職場大会の戦術実施の拠点局に指定する」旨の斗争指令第三七号を受領するに至つたが、同支部においては直ちに支部執行委員会を開催し右斗争指令に対処する措置を重ねて協議し執行委員全員一致で指令を返上し、執行委員は総辞職することに決し、即日地本に対しその旨の申入れをなし、翌一八日には支部組合員全員にその旨の声明書を配ると共に局内掲示板にも掲示し、また職場委員を含む計三四名からなる支部委員会を開催して了承を受け、更に各職場委員を介して各職場毎にその旨の報告を行い意見を徴したが、これといつて特別な反響はなかつた。

(ハ) いわゆる臨斗の成立と支援動員について。

一方横浜郵便局支部の指令返上に接した全逓神奈川地本では前述の経緯からこのことあるを予期していた関係もあつて、指令返上の実体が支部役員の処分を伴う斗争指導責任回避を目的とする支部執行権の放棄と解し、これに対処するため同地本の責任において斗争指令実施につき、横浜郵便局内に全逓中央斗争委員(斗争に際して中央委員会は中央斗争委員会に切りかわる)、同関東地方本部執行委員(地方本部とは下部組織のうち各地方郵政局担当地域毎に設けられた決議執行機関)、同地本執行委員等一三名で構成する臨時斗争指導部(以下臨斗と略称する)を設け、前同日頃同郵便局局長寺田清吉に対し三月二〇日の斗争指導の件を申入れたところ、同人は横浜郵便局長の交渉相手は同局支部だけであるとの前提のもとに臨斗による斗争指導は認めない旨回答したが、臨斗は直ちに同郵便局内において昼の休み時間等を利用し、三月二〇日は横浜公園で開催予定の職場大会へ参加するよう情宣活動にはいつた。そのため支部組合の中には相当混乱した雰囲気が生じ、これを憂慮した前記小原支部長はその頃臨斗の当面の責任者である地本井上委員長と会談し、支部において指令を消化できずに今や血で血を洗う事態になりかねないが、最悪の事態になつても辞任した執行部が中心となつて組合員同志の衝突は避けたい、ただ一部に自分達の掌握下に入らない組合員がいるのが心配である旨打ちあけここに臨斗としては右小原の話やその他の情報を綜合して、最悪の場合は、斗争指令にいう二時間の職場大会を短縮してでも事態収拾をはかり、特に問題の早朝出勤をする外勤者をはずし、八時三〇分からの一般内勤者に対し職場大会を実施することとすれば、三月二〇日の職場大会には支部組合員の積極的参加はのぞめないまでも、就労阻止のピケを突破してまで就労することは予想し難く、処分を伴う斗争回避の目的にそうと共に臨斗側にも義理を立てた形のいわば消極的参加の態度に終始してくれるという状勢判断のもとに、総評の下部組織で地本もその構成単位である神奈川県地方労働組合評議会(神奈川県所在の総評傘下の労働組合で組織されている地方組織で以下地評と略称する)に対し三月二〇日のピケ要員につき支援動員の要請に及んだ。かくして要請を受けた地評は臨斗に対しピケの性質、殊にトラブル発生の可能性の有無につきただしたが、臨斗側から普通のピケで時間までピケを張れば帰つて貰うからといわれ、地評の八木議長や国広事務局長が動員責任者となつて各傘下労組に支援動員を求めるに至り、その中には被告人高野の属する日本鋼管川崎製鉄所労働組合も入つていた。

(ニ) 警察官出動要請と警察の警備計画について。

他方横浜郵便局管理者側も諸種の情報により同局支部執行部が指令返上全員総辞職の挙に出て、これに代つて臨斗が地評傘下労組の支援動員を受けてピケを張り同局職員の就労を阻止して職場大会強行の態勢を固めていることを知り、同月一九日局長をはじめとする管理者側はその対策について協議し、同局局員の就労を計り業務の正常な運行を確保するため、当日課長以上の管理者は早朝から局外に待機して出勤してくる職員を各課毎にそれぞれ掌握誘導してピケ隊との摩擦を避けつつ秩序整然と入局させること、なおピケのため入局が阻止されることを慮りあらかじめ警察へ警備出動を要請すること等の対策を立て、同日午後四時頃寺田局長は明日は勇気と信念をもつて出勤せよ、我々管理者側も職員の入局に努力する旨局内放送を通じて放送すると共に所轄加賀町警察署並びに神奈川県警察本部警備部長宛あらかじめ警察官の出動を要請するに至つた、そして右要請の内容は、日時が三月二〇日の午前六時三〇分、場所は横浜郵便局、目的は業務運営の確保、出動要請人員は相当数となし、状況として今迄のべてきたような斗争指令の発出、指令返上、臨斗の成立の事情を明らかにすると共に当日は臨斗指導のもとに相当多数のピケ要員によつて職員の入局が阻止されるばかりでなく朝七時速達一号便出発から九時半迄に六三名の外務員が出局する予定のところ、右出局も阻止されるおそれがあり、管理者側としても極力努力するが、人数が少く到底その目的を達し得ないので警察官の出動によつて入局阻止を止めて貰いたいというものであつた。これに対し所轄の加賀町警察署の深川署長はこの混乱をどうしても防がねばならぬという見地から同日神奈川県警察本部と協議の上職場大会に対する警備計画をたて警備本部を加賀町警察署に置き深川署長自ら警備本部長に当り、警備部隊は同署所属警察官一ヶ小隊を以て編成するほか県機動隊から三ヶ小隊(一ヶ小隊は約三五名)の応援を得て警備出動することを決定するに至つた。

(二)  三月二〇日当日の状況について。

≪証拠省略≫を綜合すれば次の事実が認められる。

(イ) 当日のピケの状況その他について。

三月二〇日当日は局側管理者一一名(局長、次長及び各課長等)及び臨斗並びに地本幹部約三〇名位はいずれも前夜から泊り込み、同日午前六時前後からそれぞれ現地指導に当つたが管理者側は次長以下各課長が外に出て出勤してくる局員を各課毎に掌握して入局態勢をととのえようとし、臨斗、地本幹部はその頃から逐次到着する地評の支援動員要請によるピケ要員を横浜郵便局出入口すなわち正面公衆出入口、自動車発着口及び職員通用門の三ヶ所に適宜配置してピケを張り出勤してくる局員を職場大会開催予定の横浜公園へ誘導する態勢を固めた。午前七時前後になるとピケ要員は大体一〇〇名前後になり、右の職員通用門を主として他の二つの出入口にもピケを張り、まだ寒くもあつたのでスクラムを組んだり歌を歌つたりして、その時以降各出入口はピケの威力により一応閉鎖される状態になつた。午前七時管理者側はその時刻に出局予定の速達一号便を出発させるため、その通過をピケ隊に求めたが、即座には応じて貰えず、結局速達一号便は午前八時一五分頃になつて「速達要員が午前八時三〇分までに帰り職場大会へ参加すること」の条件つきで通行することができた(弁護人写真集No.20)。かくするうち午前八時頃にはピケ要員は二〇〇名を越え、職員通用門を主として厚いピケを張り、ピケ隊はスクラムを組んだり、立つたり、坐つたり、労働歌を高唱したり、一部では情報収集や写真撮影を目的として早くから現場に姿を見せていた一部警察官に抗議したりして気勢をあげ、それに労働組合の宣伝カーの放送や局側の放送が入り交つて相当騒がしくなつてきた(弁護人写真集No.10)。他方午前八時三〇分に就労予定の一般内勤局員は当日馬鹿に出足よく午前七時頃から出勤して来たが臨斗側の予想したとおりピケ隊との衝突を避けて、自然に前記通用門東隣の神奈川県庁分庁舎前歩道上にたむろして形勢をうかがうような形になつたので管理者側は当初の予定に従い各課毎に局員の掌握につとめ午前八時三〇分前後にはその数も一五〇名位に達したが、この人達はその後も形勢傍観の形で積極的な動きは殆んど見せなかつた。その間管理者側は何回かピケ隊に局員の入局を交渉したが(真板写真集3、渡辺写真集6、弁護人写真集No.14)、ピケ隊の応ずるところとならず局員の入局は実現できなかつたけれども局員(支部組合員)を除く管理者その他の者の通行は全く阻止されたわけではなく、多少のいやがらせはあつたにしろ大体午前八時一五分速達一号便の出局する頃までは一応通行ができた(通行の点につき弁護人写真集No.1・3・4・18・20)。ところで午前七時頃に警察官一ヶ小隊が現場近くの神奈川県庁中庭附近に出動してきたし、午前八時頃には支部組合員(一般内勤職員)は一応管理者側各課長の掌握下に入つた形で前記通用門ピケ隊の近くに寄りそこから前記県庁分庁舎前にかけて歩道上に集合して当初の職場大会開催予定地である横浜公園への誘導は出来そうにない状況になつたので、臨斗側は急拠予定を変更して前記通用門前で集つた支部組合員、ピケ隊員を対象に職場大会を開催することを決し、午前八時二〇分前後から労働組合宣伝カーの上より共産党代表、各議員地評幹部等の挨拶、激励演説をはじめ当時の運動状況の報告などをやりだしたが、これには附近に形勢傍観していた前記支部組合員(局員)も自然に耳を傾けるようになつていつとはなしに職場大会のような雰囲気が生じ、その状態は殆ど実力行使による警察官の介入直前までつづくに至つた(鈴木写真集3・4・5、渡辺写真集9、真板写真集17、弁護人写真集No.5・12・13・16・17)。

(ロ) 警察側の判断と行動について。

他方警察は前日の警備要請と当日午前六時頃からの現場の状況にかんがみ深川警備本部長において前記のとおり一ヶ小隊を午前七時県庁中庭に前進待機させていたが、速達一号便の遅延、管理者側からの度々の出動要請、一般内勤職員の就労時間の切迫等を考慮して午前八時三〇分頃古川機動隊長を現地指揮者とする三ヶ小隊の警察官と警察広報車一台の出動を命じて警備につかせ、右警備部隊は午前八時四〇分頃現場に到着し、ピケ隊に対し通用門前車道上と県庁分庁舎前歩道及び車道附近に整列待機し、広報車は分庁舎前車道上に駐車して(鈴木写真集5・6・9、渡辺写真集7、弁護人写真集No.2・8・12)、ピケ隊員に対したびたび「違法なピケであるから直ちにピケを解いて職員を入局させるよう」呼びかけた。しかしピケ隊員はこれに応ぜず、現場は前記の如く職場大会開催中の様相を呈し労組宣伝カーよりの演説や、そのあいまに警察に対する警察は帰れ、警察は黙れ等の反対呼びかけ等があつて双方のマイク合戦の形となり喧騒を極めるに至つた。午前八時五〇分頃より深川警備本部長も現場に出動したが、以上のような状態は止まず局側管理者側からはしばしば局員入局のために実力行使の要請がなされ、事態好転の見透しもないので警察は次第に違法ピケを解くように警告を強めてきた。午前九時頃現地第一線最高指揮者の深川警備本部長、古川機動隊長の二人は近くの県警察本部警備部長室に呼ばれ、県警渡辺警備部長を交えて状勢分析と実力行使について検討した結果、三者一様に既に就労時間を経過しているのにピケ隊の人局阻止は依然として止まず、これは威力業務妨害に当るから実力によるピケ排除も止むを得ない。しかしながらその前にもう一度ピケ隊責任者にピケを解くように申入れると共にその旨一般ピケ隊員に周知させるよう警告し、それでも駄目なら実力行使へ移るという結論に達して現場に戻り、直ちに「違法なピケを解かなければ警察は実力行使に移る。これを妨害すれば公務執行妨害罪になる」旨の強力な警告を放送により繰りかえした。その前後に臨斗側からも局側に対し話し合いをなすことを申入れると共に局側と話し合つてる旨の放送がなされた(渡辺写真集5・6、真板写真集3、弁護人写真集No.2・7)。その間ピケは郵便法第七九条違反の疑があるから解くようにと申入れた一部警察官が臨斗側より反論されたり(弁護人写真集No.6)或は我々の力ではどうにもならないから警察の実力行使によりピケを排除して局員の入局を実現して欲しいと要請した管理者側の何人かは警察官より入局できないでもどんどんぶつかつて入るようにしなさい。それで入局できなかつた場合には警察がでるからと激励されたりしたが、当時の状況はいまだ、警察の出動を是認しうるような混乱若しくは切迫したものではなかつた。

(ハ) 警察の実力行使の状況及びいわゆる話し合いとこれをめぐる管理者側の態度について。

かくして午前九時一〇分過頃になるや深川警備本部長は局員入局のためにはこれ以上事態の遷延はゆるせないと判断し伝令をして現地指揮者古川機動隊長に実力行使を命じたところ、同隊長は一度直接深川警備本部長にそのことを確めた上前記の如く職員通用門並びに県庁分庁舎前附近道路上に待機させていた警備部隊三ヶ小隊を実力行使のため前進させたので彼我最高度の緊張に包まれたが、その緊張を破つてピケ隊側幹部の方から「一寸待つてくれ、今局長と話し合いをしている」旨の申入れを受けて、同隊長はしばらく成り行きを見守るため部隊を後方に下げて待機の形をとり、その後五、六分の間組合側の善処を期待して待機したが、一向にピケ隊側には変化がなく、これ以上の遷延は許せないと判断して午前九時二〇分頃遂に実力行使の命令を下した。これに対応してピケ隊側はその前部の方が引抜かれまいと急に坐り込みをはじめたのに対し警察官は二人一組となつて東隣り分庁舎側のピケ隊から順次西側通用門附近一帯にわたつて引抜きを始めたところ、最後の後方の一部ピケ隊員が通用門内に入りこみその門扉を閉じて抵抗したが(鈴木写真集14、真板写真集8・9・10)、間もなくピケ側幹部の指示によつてこれを開きここにピケは完全に排除されるに至つた。その間約二〇分前後に及び午前九時四〇分頃に至つてピケ排除の目的は達せられ、局員の入局を見たが、ピケ排除に際しての警察側の実力行使は一部に警棒を使用するほどきつく、そのため相当の混乱が生じ前記一記載の各暴行はいずれもこの時に発生したものであつた。(鈴木写真集10・12・13、渡辺写真集15乃至17・19・21、真板写真集5乃至11・14乃至16・18、弁護人写真集No.11・15・21、渡辺第二写真一乃至三、警棒の点真板写真集7・8・10・22)、これより先午前八時二〇分前後から職場大会に移り、その間管理者側の入局交渉はあつたにしろ、入局予定の支部組合員との摩擦はなく職場大会の進行を順調に進めていた臨斗側は午前九時前後警察側の実力行使の気配におどろき、警察、ピケ隊両者間に不測の事態の発生を懸念すると共に横浜支部の組織の弱さも考え合わせ、この辺が潮時と急ぎ局長と臨斗側のトツプ会談をもつて事態収拾を計ろうと決し、前記のとおりその旨マイクで放送すると共に警察側にも申入れを行い、地本大須賀書記長から局外にいる管理者側の合田次長にその旨申入れて局長に通じたところ、局長の方ではピケを解かない限り話し合いには応じないとの態度を持していたが、臨斗側の強い申し入れにおされ、しぶしぶ話し合いを承諾させられたような形になり、臨斗代表者数名がそのため横浜郵便局四階の局長室に赴いたところ、局長は姿を見せず、そのうち窓から前記の如き警察の実力行使寸前の緊迫状況を見て、その大部分は慌てて下に馳け降り、附近のピケ側幹部とスクラムを組んでピケ最前線に坐りこんだところ警察の実力行使となつたが、その頃もともと臨斗自体を否定してその話し合いに応ずる意思のない局長は右のとおり臨斗代表者を局長室に放置したまま別の監察室から警察に対し話し合いに応ずる意思はないので実力行使をして欲しい旨電話による最後の要請をなしていたものであつた。

三、警察の実力行使すなわち公務執行の適法性について。

本件における警察の実力行使は現地第一線最高指揮者である深川警備本部長及び古川機動隊長の判断によつてなされたものであつて、その理由とするところが、就労時間経過後のピケ隊の入局阻止は威力業務妨害罪に該当するから、この犯罪を鎮圧阻止して局員の入局就労を計ろうとするにあつたことは前記二の(二)の(ロ)(ハ)に認定した事実によつて明らかである。

しかるに、検察官は、被告人両名の前記各暴行は刑法第九五条第一項にいわゆる公務執行妨害罪に該るとして、その根拠を次のように主張する。

すなわち本件における警察官の実力行使換言すれば公務の執行は既に成立し且つ継続している違法なピケツテイングによる威力業務妨害罪の犯人たるピケ員全員に対する制止行為及び警察官職務執行法(以下警職法と略称する)第五条後段すなわち人命、身体に危険が及ぶおそれがあつて急を要する場合における制止行為の双方の性質を同時に具有して実施されたものである。

まず威力業務妨害の犯人たるピケ員全員に対する制止行為とする所以は、警職法第五条後段においては財産に重大な損害を受けるおそれがあつて急を要する場合の制止行為を規定しているところ、同条項が財産に重大な損害が発生する以前すなわち犯罪の発生前においてすら犯罪予防のために警察官に制止行為を認めているのは畢竟警察に対し公共の安全と秩序維持のために犯罪予防の責務を課しているからにほかならず、他方警察法第二条第一項は犯罪の予防と併せて犯罪の鎮圧を警察の責務として規定しているので、犯罪予防の段階を越えて既に犯罪が発生し且つ継続している場合に、これを鎮圧して公共の安全と秩序を維持する責務を果たすためには当然犯罪予防の場合と同程度の制止行為が認められて然るべきであるから警職法第五条後段の規定は警察の責務(警察法第二条第一項)との関連において犯罪予防のためのみならず犯罪鎮圧のための制止行為をも当然に同条項の要件に準じて肯定しているものと解するのが相当であるが、本件における威力業務妨害の状況と警職法第五条後段の要件をみるに郵便局及び同局職員の業務が長時間に亘つて侵害され且つ犯罪が尚継続していることは右業務の性質上国民の財産に既に重大な損害が発生しており、且つ損害が無限に増大していくおそれがあることに外ならず、同時にそのことはそのまま同条項にいわゆる「急を要する場合」に該当する。次に警職法第五条後段の人の生命若しくは身体に危険が及ぶおそれがあつて急を要する場合における制止行為に該当する理由は、本件において警察官の制止行為が実施された当時の通用門前におまる情勢をみるに、約二〇〇名の多数によるピケツテイングが前記のとおり不法な威力を示して通用門の出入口を実力で占拠して職員の通行を阻止し、業務の妨害を継続して気勢を挙げており、他方入門就労せんとする約一五〇名の職員が右ピケツトラインと僅か一米の至近距離において集結対峙して入門の機会をうかがい、加えて局内からは職員に対し「勇気を出して入ろう」との呼びかけがつづけられ、之に対しピケ員等は警察官の再三、再四にわたる警告を無視し「あくまで斗おう」「警察の加勢に驚かず堂々と斗え」等との怒号激励の乱れ飛ぶ中で益々スクラムを固めて阻止態勢を整えており、弁護人側井上証人の言うごとく「これ以上事態を過すと流血の惨が起る」という状態になり「お互にエキサイトしているという雰囲気でこれ以上事態の遷延を許せない」までに立至り、既に一般職員の出勤就労時間も約五〇分を経過しているという情勢から右職員等全員或はその幾人かが敢えて右ピケツテイングに対して強引に突入し、両者の間に殴り合い等の暴力行為の発生が予想され、暫時の静観猶予も許されない急迫した情勢にあつたのであるから、かような状況はまさしく警職法第五条後段にいう生命、身体に危険が及ぶおそれがあつて急を要する場合に該るものといわねばならないと主張する。

そこで以下警察官の実力行使すなわち公務執行の適法性について判断する。

(一)威力業務妨害罪の成否について。

前記二の(二)特にその(イ)において認定したように本件においてピケ隊は三月二〇日当日午前七時頃からピケを張り、多数の勢力を示して、好むと好まざるとにかかわらず入局就労すべき横浜郵便局職員約一五〇名位に対し、その意思を制圧して入局を阻止し、その従事すべき業務につかせず、国の郵便業務を妨害してそのまま警察官の実力行使のときに至るまで推移してきたのであるから、これが威力業務妨害罪に該当することは多言を要しない。(もつとも、本件ピケ―これが争議行為であることは前記二の(一)及び(二)により明らかである―の状況からすれば、一般民間企業における労働組合の争議行為としては許される範囲の正当な行為であると認められるが、全逓のごとき国が経営する企業の職員で組織されている労働組合については、公共企業体等労働関係法の適用を受け、同法第一七条により争議行為が禁止されており、且つ同条違反の争議行為について労働組合法第一条第二項所定の刑事免責規定の適用のないことは最高裁判所の判例(最高裁判所昭和三七年(あ)第二四二号及び(あ)第一八〇三号、いずれも同三八年三月一五日第二小法廷判決参照)の示すところであるから威力業務妨害罪の成立することは明らかである。)

(二)  警職法第五条について。

(イ) 警職法第五条は「犯罪がまさに行われようとする」場合に制止行為をなし得る旨規定しているけれども、その要件に限つて考える限り犯罪が発生し且つ継続している場合にも右の制止行為をなし得ることは検察官主張のとおりであつて、その犯罪の継続、発展の面に着目すれば、それは「犯罪がまさに行われようとする場合」にほかならない。したがつて他の要件のそなわる限り犯罪が発生し継続している場合にも警職法第五条はそのまま適用されるものと解すべきである。

しかしながら本件において威力業務妨害罪が成立し且つ継続しているとしてもそれだけではいまだ警職法第五条後段の制止行為が直ちに許されるわけのものではない。それで検察官の前記主張に従い、先ず同条項後段の制止行為に必要な「財産に重大な損害を受ける虞があつて急を要する場合」との要件が存在するか否かについて考える。

もともと右警職法第五条後段にいう「財産に重大な損害を受ける虞」とは、これにかぶさる「もしその行為により」という規定の文言からも明らかなように、制止さるべき行為と発生するべき財産の損害との間に直接の結びつきが要求され、したがつて、また、右にいう財産とは必しも有形的財物とは限定されないまでも、制止さるべき行為によつて直接損害を受け得る財産として極めて具体的な経済的利益を指すものと解すべきである。このように解することは、同条後段の制止行為が許されるいまひとつの要件である「もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及ぶ」場合の行為と生命、身体の直接性及びその具体性との対比からも首肯されるところである。もし右の直接性及び具体性を必要としないとするなら、その範囲は無限に拡大され、本来警察行政における即時強制の規定で極めて制限的に解釈せらるべき同条後段の意義は全く没却されてしまうというべきである。したがつて全く財産に関係がないとは言い得ないにしても、本来人格的活動の自由を保護客体とする威力業務妨害罪などは右の直接性の要件を充たし得ないものとして本条後段の制止の対象にならないものと解するのが相当である。(威力業務妨害罪と併せて毀棄罪等の別罪が成立する場合は別論である)まして検察官主張の如く本件におけるピケによつて郵便業務が妨害され、国民の財産に損害を及ぼすとするような遠く且つ漠たる要件で本条後段の制止が許される筈のないこと今更いうまでもないところである。

したがつて損害の重大性、急を要したか否か等その余の判断をなすまでもなく、前記要件による制止行為は許されない。附言するに本件においては前記二の(二)の(ロ)からも明らかなように実力行使を下命指揮した深川警備本部長及び古川機動隊長等の指揮者において財産に対する損害について検討した事跡はみあたらない。仮りにこの点に関し検察官主張の如き判断を下して本件実力行使に及んだとしてもこの点に関する法律の解釈適用の誤りは単に主観的な状況誤認として、保護すべき公務の執行とみるには余りにその瑕疵が大であつて到底適法な職務行為とはいいえない。

(ロ) 次に本件ピケツトの継続により人の生命若しくは身体に危険が及ぶ状態であつたか否かについて考えてみる。

本件においては前記二の(二)において認定したところから明らかなように、人の生命、身体に危険が及ぶ事態は警察官みずからの実力行使を除いては全くなく、また警察官がその危険ありと認定するについて首肯し得べき正当且つ充分な理由もない。もともと本件における実力行使は、前記のとおりひとえに威力業務妨害罪の継続を鎮圧阻止して局員の入局就労を計るという目的のみによつてなされたもので、警職法第五条後段の人の生命、身体に危険が及ぶことを理由としたものではない。現場が喧騒を極めたといつてもそれは殆どがマイク合戦の形でなされたものであり、管理者側の入局交渉といつても暴力発生の余地は全くないし、ピケ隊が緊張したといつても、それは警察官出動以後のことで、しかもそれは警察側との間に存したもので入局就労すべき局員(支部組合員)との間には何等の紛争も存しなかつたし、もとより一般公衆が郵便局利用のためにピケ隊と衝突するなどの事態も存しなかつたのである。

そしてこのことは本件に現われた各証人が異口同音に認めるところでもある(例えば管理者側の証人である合田真一郎(第一三回公判調書)、伊地知亘(第三三回公判廷)の供述中騒ぎが大きくならなければ警察も無暗に出動するわけにもいかないのだろうと思つたという趣旨の供述に雄弁に現われている。)したがつて客観的に警職法第五条後段に規定する生命、身体に関する要件は全く存しないし、主観的にそれが存すると誤信した事跡も全くみあたらないので、本件実力行使を右の理由で正当化する方途はない。

四、結論。

以上の次第で本件における警察官の実力行使は適法な職務行為とは認められない。(本件においては既に威力業務妨害罪が成立しているのであるから、公共の安全と秩序を維持するため必要とするならば、現行犯人として逮捕することもできたのであるから、他にとるべき手段が全くなかつたとはいえない。)

被告人両名が、さきに認定した各暴行によりこれを妨害したとしても公務執行妨害罪の成立するいわれはないというべきである。なおまた右各暴行について暴行罪が成立するか否かを考えてみるに、既に警察官の実力行使が右の如く違法で公務の執行として保護されないものである以上前記二認定の当時の事情に照らし、警察官の実力によるピケ排除行為はピケ隊員全員の身体、自由に対する急迫不正の侵害であり、被告人両名のこれに対する各暴行は自己に対する引抜きを阻止すべくその防衛のため行われたものと認められ、且つ已むを得ざる行為というべきであるから刑法第三六条第一項所定の正当防衛行為であつて罪とならない。

よつて刑事訴訟法第三三六条にしたがい主文のとおり無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 赤穂三郎 裁判官 麻上正信 裁判官 鈴木健嗣朗)

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